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- Mocchyお元気ですか?
- 投稿者:大家
- 投稿日:2002/11/24 (Sun) 10:43:34
皆さんお久しぶりです。お元気ですか?
特にMocchy、イランでは如何お過ごしでしょうか?体に気をつけて、イランでの成功を祈っております。また、時々、情報をリークして下さいね。
さて、今日は私自身のことについて触れたいと思います。
私は玉尼様と出会いましたのは5年前だったように思います。その時は玉尼様としてお会いしたのではなく、ある仕事の斡旋の場として偶然にお会いしました。それから5年、様々なことがありました。
その中でも、人生の転機ともいうべき進学、就職の時には的確なアドバスを頂きました。そして、今の私があります。その中でも最近の私の話をしたいと思います。
ここ数ヶ月間、学生時代とは違った環境で、非常に悩んでおりました。自分の将来、今の仕事、仕事の意味、目標・・・、仕事が楽しくないわけではありませんでした。会社に行きたくないわけでもありませんでした。しかし何かしら不安めいた感情があり、毎日の生活が不安感で一杯でした。上手く表現できませんが、心の中を”奈落”が支配していたような感じでしょうか。毎朝、とても早い時間に「悪夢」で目が覚め、必ず「下痢」でした。このような状態が2-3週間続いた頃でしょうか、玉尼様にご相談申し上げました。そうすると、”自律神経失調症”になりかかっているので、まず、体のケアをしなさい、そうすると心は自然とケアされます、とおっやってくださいました。初めは半信半疑でした。でも、今までの5年間、様々な岐路でご指導下さり、その道を歩んできて今の自分があることを思い、体のケアに励みました。2-3週間くらいかかったでしょうか。確かに体は楽になってきたように感じるようになりました。しかし、心のほうはそうもいきませんでした。そして、体のケアをする間、玉尼様のご指導を確実に実行するべく支えてくれた女性に精神的にも頼るようになっていました。体は治ったけど、まだ心が病んでいました。そんな状態が2週間くらいは続いたでしょうか。ある日、突然、その女性が暫く会うのをやめましょうと言いました。正直、あの時の私にとって死刑宣告のようなものでした。人に頼ることも必要な時もあるでしょう。しかし、頼ってばかりでは駄目です。自律して、自分自身をしっかり持って、生きていける人にならなくてはなりません、との玉尼様のご指導だったそうです。その時、以来、その女性と何度も人生のこと、仕事のことについて話をしたと思います。その話の中で、玉尼様のおっしゃる意味を理解することができてきたように思います。今では玉尼様のご指導とその女性の助けもあって、”自律”した人間になることができてきたように思います。”自律”簡単だと思っていましたが、自らを律することの難しさと大切さを教えていただいたように思います。何が書きたかったのか、よく分かりませんで、とても分かりにくい文章になってしまったかと思います。長々と書いてしまって申し訳ありません。
さて、話は変わりますが、先日、自分を見つめな直すため、今までのことを振り返るために、石鎚山に行ってきました。何かしら自分の中で整理がついたように思います。
皆さんとも、また、何かの機会がありましたら御一緒させて頂きたいと思います。
ではまた・・・。
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- 日本より
- 投稿者:「まめ」
- 投稿日:2002/11/27 (Wed) 00:30:37
mocchyくん、レスが遅くなってごめんなさい。お元気ですか?
日本では、今日紅白歌合戦の出場者が決まり、年末ジャンボ宝くじが発売になるなど、年の瀬が近づいている現実をひしひしと感じさせられています・・・といいますのも、私にとっては悲しいかな、修論の下書き提出が待っているからです。教授に、素敵なクリスマスプレゼント(下書き)を渡して、冬休みを迎えたいなぁ。。。。と思いながらがんばっています。
さて、言い訳になっちゃいますが、レスが遅くなったのには二つ理由がありました。
一つ目は、私の進路が決まらなかったらからです。mocchyくんを見送ったあと、合格通知がきたんですよ〜!!4月からは”職”につくことができまーーーす。晴れてここにご報告ができ、今は、安心と感謝の気持ちです。
二つ目は前記のことと、大家さんが書いていることに関係がある理由からです。言うまでもありませんが、大家さんの言う「女性」は私です(たぶん)。大家さんの「自律神経失調症」の期間中、本当にたくさんの涙を流しながらいろいろ話し合いました。「死刑宣告」は私にとっても同じことでした。大家さんが私を頼って会いにくることを、「私を必要としてくれているんだ」と思い、自分の存在価値のようなものをそこに見出していた私がいました。だから、玉尼様に「今は会わないことが、大家さんのためになる。このままでは、あなたが大家さんをだめにしてしまう」と言われた時はとてもショックでした。
会えないことではなく、私が大家さんをだめにしてしまうという言葉の方です。必要とされていることをうれしいと思う自分が少なからずいたから、玉尼様を恨むような思いもあったと思います。
それと同時に、大家さんのためを思ってやさしく接していたことが、実は逆効果だったなんて・・・私がだめにしてしまうところだったの?と思うと、何ともいえない悲しさと、「玉尼様がいなかったらどうなっていたのだろう・・・」という怖さがあふれてきました。
玉尼様のお言葉を信じ、納得し、理解できたので、玉尼様のご指導通り、大家さんに「会わないようにしよう」と告げました。でも、心のどこかで玉尼様を恨み、反抗的な気持ちを持っていました。玉尼様の助言に対して素直になれませんでした。
そんな私の態度は、大家さんのこととは関係なく、私自身に足りないもの、私自身が直さなければならない部分を露呈させました。それら、私に欠けている部分や直すべき部分について玉尼様がご指導してくださったはことは、4月から働き始める私にとって、そしてこれから先もずっと必要になるであろう、「人としての成長」という教えだったと思います。
☆★☆ちゃんが言うように、自分の進むべき道を指南してくださったり、間違っていたら修正してくださる方が近くにいてくださるということは、とてもありがたく、心強いと思います。私には、玉尼様と両親という心強い助言者がいてくれるので、困ったり悩んだ時は相談し、叱られながらも素直な気持ちで成長していきたいと思います。
再びmocchyさん、☆★☆ちゃん、わあさん、○ーじさん、ここにきてくださる皆さん、私たちはみんな不安を抱え、悩みながらも、ひとつずつ「点」を集めている同士ですね。私も、☆★☆ちゃんと同じように4月からの生活には希望と不安の両方があります。つらいことや悩むこともあると思いますが、自分の選んだ道に自信を持って、自分らしくがんばっていこうと思っています。
長くなりましたが、この辺で・・・・おやすみなさい。
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- こんばんは。
- 投稿者:わあ
- 投稿日:2002/11/27 (Wed) 23:24:32
「まめ」さんの言葉、一つ一つ大切に読ませていただきました。
胸がいっぱいになって、何か伝えなくちゃと思い、書き始めましたがうまく言葉になりません。またまた泣いてます。ご存知の通り、最近泣いてばっかりの私です。でも、そんな私の背中をいつもポンと押してくださる玉尼様、そしていっしょに泣いたり笑ったりしてくださる皆さんのことが心に浮かんでいます。
一人でいると、時には不安になることもありますが、決して孤独というのではなくて、何だかいつも心が暖かい。そんな感覚を味わっています。
「まめ」さん。進む道は全く違うものになるでしょうけど、一緒に頑張りましょうね。いつもありがとう。
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- むずかしいことです。でもいつかは。
- 投稿者:○−じ
- 投稿日:2002/11/29 (Fri) 01:46:39
僕はこれまで2?年間(母の腹の中で1?年間、だから見た目は3?だったりして??????????????)生きてきまして、今では順調に身の回りの事は進んでいるけど、当然さまざまな葛藤が皆さんと同じようにあり、自分の中では悩み苦しんできました。僕の周りにはすばらしい方々がたくさんいてくれて、相談に乗ってくれたこともありますし、励まされたこともあります。玉尼様のおっしゃる事を聞き、勇気が湧いたことはしょっちゅうです。
そんな声を不安な自分が聞くとき、頭の中に描かれる次の自分。その姿が成功し、喜び、生きた目をした自分であるとき、またすぐにイメージを描くことが出来たとき。その時の感動ってすごいんでしょうけど、そんなこと滅多にありません。
相談を持ちかけるとき、持ちかける人は相談しながらも少しは自分なりの答えを持っているものです。答えが全く見つからない時は、悩む時期が早すぎるか、考えてないか、自分の意識が間違った方向に進みつつあるか、とか。そんな感じだろうと思います。そしてアドバイスを聞いて。自分の用意した答えと照らし合わせてみて。逆だったりしますよね。そんなことしたくないのにって。
でもそんな時ってどうして?って思いながら自分を見つめなおしたりするでしょう。そうしてみたらどうなるんだろう?逆に自分の思うとおりにしてみたらどんな結果が待ち受けているんだろう?自分にとって必要なのは何だろう?自分は何をしたいんだろう?それで幸せになるのは誰だろう?自分だけ?あらゆる人々?世に必要とされることかな?無駄かな?それで真の生き方ができるかな?などなど。
その時間と行為が大切なんだと思いますよ。これまで振り返ってみて、そんな自分との問いかけに費やした時間が1分たりとも無駄ではなかったと、自信を持って言えます。
最近、僕は事ある毎に玉尼様に相談しています。ちょっと、多すぎるかな?と反省もしてみたりしてます。自分の不安の表れなんでしょうけど、安易に相談する前に、まず自分と相談してみようかな?と考えています。そうして自分との戦いに時間を費やし、答えが見つかり、正しかった時の方が、強い意志を持てるような気がします。
今、それなりに強い自分があるのは、紛れもなく玉尼様、両親、周囲の諸先輩方のお陰です。自分にそれなりの自信があるのも、これらの方々のお陰です。そして、目の前に起こる様々な出来事を、一こま一こま無駄にせず自分の糧に出来た、自分の反省材料に出来た、そういう意識で捉えることの出来た自分のお陰とも思っています。
自分の意識を信じ、前を向いて進んでいって、立ち止まったら納得するまで悩んで、でも時によっては歩みを止めず、時によってはじっくり座って。その時間を大切にしながらお互いに悩み抜きませんか?ね。みなさん。
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- 生きていくって・・・
- 投稿者:ゴン
- 投稿日:2002/11/30 (Sta) 11:34:47
久しぶりに集いの輪をのぞせていただきました。20才代の若者の皆様は、それぞれの道を進んでいるようで、陰ながら応援しております。
私はおかげさまで、自分の家庭は平凡ながら幸せです。しかし、両親の経営する会社や、私の姉たちのことで様々な悩みが絶えません。悩むたびに玉尼様のところに相談に行っています。○ーじさんと同じで、’ちょっと多すぎるかな’と反省するくらい。けど、その都度、軌道修正していただけているので、何とか大きな波に乗っていく感じで、毎日を過ごせていけているのかなって思います。
近頃は、平凡ほど幸せなことはないなあ〜なんてつくづく思います。この世に生まれ、人生を送っていくということは、楽しいこともたくさんあるけど、いろんな修行があるんですね。けど、その修行から逃げずに、自分なりに前向きに生きていくことがすごく大事に思います。
集いの輪に投稿されている方!ほとんどの人が若い世代の人だと思います。若い内にたくさん悩み、自分と戦ってみてください。それはきっと無駄にはならないと思います。私もまだまだ頑張ります。
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- おげんきですか?
- 投稿者:大家
- 投稿日:2002/12/24 (Tue) 10:57:39
お元気ですか?もう年の瀬も近く公私共に今年の整理をつけられている頃ではないでしょうか。
さて、私は秋口の病気以来、初めて玉尼様と会いました。病気の方はなんとか治って、今は元気よく(?)毎日をおくることができているように思います。○-じさんが書き込んでいますが、私も人に相談するときはある程度自分なりの答えを持っているものだと思います。(もっとも玉尼様は自分の思ってもいなかったところから思ってもみないことを言われたりしますが・・・。)で、その”自分なりの答え”と同じようなことを言われた時は素直にその事を実行できますが、違うこと、全く反対のことを言われたときには中々実行できないですよね。それが人の良いところでもあり弱いところでもあると思います。話は変わりますが、私、昨日最も信頼していて最も大切な人からいろいろなことを言われました。私は結構頑固者で冷酷な人だそうです。自分自身何となくそういう性格かなと理解してある部分もありますが、自分が思っている以上に頑固で冷酷だそうです。例えば、あるAという予定があったとします。このAはそんなに重要な予定ではなかったとします。そんな時に急遽XさんがAと同じ日にBという仕事を頼んできたとします。そんな時、皆さんはどうしますか?自分自身とXさんとの関係やA、Bの内容にもよるでしょうが、私は、本当はAを他の日又は他の時間にすることが出来ても、Xさんとの関係やBという仕事をスパッリ切り捨てる冷酷さがあるそうです。(自分自身も何となく分かってはいるつもりですが・・・。)人には大なり小なり上記のような性格を持ち合わせていると思います。でも、それを上手くコントロールして周囲の関係だとか環境だとかをバランスよく保っているのかなと思います。私にはそういった部分が足りないそうです。で、話が脱線してしまいましたが、人は相談するときに何らかの答えを持っているものだと言いました。そして、上記の例とを重ねてみると、もし自分の用意している答えと違った解答が出てきたらどうするでしょう?道は2つに分かれると思います。その解答を実行するかしないかです。実行しない場合は、自分自身を信じて(自分のやりたいように)進む、その結果がどうであれ私は自分を信じて自分の手で道を切り開くことも大切なことだと思います。また、実行する場合でも素直に自分とは反対の解答を実行することは難しいことだと思います。何故?どうして?と質問をするでしょう。なぜならその自分自身の”答え”も自分が悩んだ末に出した”答え”だからです。しかし、その答えに納得することが出来たなら、当初自分が思っていたこととは反対のことでも実行することが出来るようになると思います。でも、それでも納得できない場合、それでも実行する決め手になるのがそのアドバイスをくださった人の信頼だとかそういった目には見えない、長い期間で築きあげてきた要素だと思うんです。今、社会に出ていろいろなことが毎日起こっています。本当に些細なことから。でもどんな些細なことでも自分独りの力では解決できないことも多いと思います。そういった時に先輩であったり家族であったり、友人、恋人いろいろな人に相談するのではないかと思います。私は幸いにもそういった仲間の他に”玉尼様”という神秘的な存在が近くにいらっしゃいます。玉尼様と長い期間お付き合いさせて頂いているわけでもありませんから上で書いたように信頼というものはあまり無いかもしれません。でも、それ以上に神秘的な存在という一種の目には見えない線見ないなもので引っ張られているような感じがします。
いろいろと書いてしまってわけが分からなくなってしまいましたが、結果が分かっていない事だからこそ人はそこで止まり、悩むものだと思います。人は多かれ少なかれ自分の意志があります。その意思とは違った答えが出てきた時に人は成長するような気がします。そして、人と人の信頼関係も更に密になっていくと思います。また、そんな時に玉尼様に相談できうる環境にあるということはありがたいことだと思います。これからはいろいろなシーンで悩んだり、立ち止まったりする時、周りの人の話によく耳を傾けて、疑問がある時はその疑問をぶつけてみる、投げかけてみる、そして話をしてみる、そういった上で互いの信頼関係をより密にしていき、より良い道を歩んで行けるように自分の持つ冷酷さを緩和していけるよう頑張りたいと思います。
長々と書いてしまった上、少し理系的な文章になってしまったような気がします。またいつかお話しましょう。ではよいお年を。
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- んーと
- 投稿者:○−じ
- 投稿日:2003/02/08 (Sta) 17:16:45
ピンクモンキーでした。
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- とりあえず
- 投稿者:mocchy(mocchy_5267@yahoo.co.jp)
- 投稿日:2003/04/15 (Tue) 03:25:05
気がつくと留学生活が半年を越えてしまっていて、今更ながら焦っていたりします。が、どうしようもないので、できることからこつこついくことにしてます、現在は。でもってイラン生活の小ネタに関しては「小さな駅の伝言板」にUP中ですし、今後も日々の生活での大ボケ話等々、カキコしますので暇つぶしにでも読んでいただけるとこれ幸い。
- 110
- 潜在能力
- 投稿者:mocchy
- 投稿日:2003/11/08 (Sta) 10:33:35
イランに来て1ヶ月が過ぎました。現在は断食月ゆえ、イスラム教徒の人々は日中はあまりやる気なく、商店もにぎわいに欠けてます。語学の方はまだまだです。ですが勉強の方法というか、方向性がようやくわかり始めました。
というのも、日本出発前に何気なく購入し、持ってきた雑誌に『声を出して読みたい日本語』の著者斎藤孝氏の小さな記事がありました。内容は「潜在能力を引き出す方法」。下記一部抜粋。
「人間があるものを認知していくには、自分が知っていることを基準にしながら、知らないものを理解していくしか方法がない。それを反復させて練習していると、ある時点で突如爆発したようにすべてがわかるようになってくる。これが量の質的転換である。これこそ潜在能力。だから恐ろしいほどの潜在能力は誰もが持っているといえるのだ」
語学は才能、という固定観念が自分にはありました。が、それは間違いだと気づきました。語学習得が早い人は、言語を認知するための基準作りに長けている。それは才能ではないし、自分にも出来得ることであると。ゆえに今は自分も基準をしっかり持つべく、まずは反復練習を実行しています。手始めに週三回だった家庭教師との授業を一回にし、復習・反復を繰り返しています。ここで役立っているのがボイスレコーダです。
それは、出発前日に無理をして上京し、お世話になっている教授を訪ねた際、たまたま同席していた人から、購入を強く勧められたものです。その人はメキシコ・イギリスと長年海外生活を経験しており、曰く
「これから海外に行く人は日本にある最新技術をフル活用するべきです。パソコンしかり、インターネットしかり。デジカメやボイスレコーダも同様です。とりあえず、いろんなものを収集して、必要かどうかはあとで判断すればいい」
勧められるがまま、出発当日、慌てて購入したわけですが、反復練習するにはやはり記録装置が必要になり、持ってきて正解でした。今では、学校の授業も録りためており、買い物に行く際も携帯するように心がけて、会話などを録りためるようにしています。
さらに上記斎藤氏の記事の続きを。
「ただし自分が作った基準でも、それを応用できる場合と、応用できない場合があることには注意が必要だ。同じ分野のものを研究する場合、色でいえば三原色があるように、全体の土台になっているもので基準を作ることが肝心だ。そうすれば他の色を説明するのも楽になる」
ペルシア語において、書き言葉と話し言葉の差は日本語以上にあり、その上、慣用表現も非常に多い。ペルシア語の土台はこの「書き言葉」「話し言葉」「慣用表現」ではないかと思うようになり、この3つで基準を作らなくてはならないと判断しました。ボイスレコーダで無作為に録りためているものは、「話し言葉」「慣用表現」を勉強するための格好の教材となり、すでに必要不可欠なものになっています。また「書き言葉」に関しても、小さな新聞記事を丸暗記してしまうほど繰り返し読む、という作業を家庭教師から勧められ、現在実行中です。
今はまだ反復練習、基準作りに精を出している段階ですが、近いうちに爆発的にすべてがわかり出すことを信じて、自分自身の潜在能力を信じて…。
最後にもう一度、この言葉を。
「恐ろしいほどの潜在能力は誰もが持っている」
- 111
- 玉尼です
- 投稿者:玉尼
- 投稿日:2003/11/13 (Thu) 09:50:20
何の準備もしていない子供をアメリカへ送り出した母が一番心配したことが、「聞いて理解でき、喋ることが当たり前に出来るようになれるのに何ヶ月かかるのだろうか?」と思うことでした。
もっちぃ君も反復練習を繰り返すことを黙々と続けている内に、反復練習をする努力をしていることすら意識しなくなった頃、すべてがわかりかけていることに気づくのです。
人間が他の動物と違うところは、反復練習で体に覚え込ませた内容の倍以上から覚えた量だけ累乗して理解することや応用することが出来ることです。
これが、ある時点で突如爆発したように、すべてがわかることなのです。
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- 久しぶりに投稿します。
- 投稿者:「まめ」
- 投稿日:2003/12/07 (Sun) 17:03:29
先日は,みなさんお疲れ様でした。
お天気にも恵まれた登山ができ,すがすがしい秋の一日を過ごせました。そろそろみなさまのお手元に写真が届く頃だと思います。わんわんチャンのご両親がたくさん焼き増ししてくださいました。ありがとうございました。
さて,下のもっちい君のカキコ読みました。
私は,学生の頃から語学が大嫌いで逃げ回っていたし,もっちい君と同じように「語学はセンス」と思っていました。努力しなかったから能力も潜在したまんまなんだなぁ・・・・と,いまさらながらに気づいてしまい,情けない。私の分まで,「がんばれ弟よ!!」ということで。。。。
カキコの中で気になった言葉は「人間があるものを認知していくには、自分が知っていることを基準にしながら、知らないものを理解していくしか方法がない。」という部分です。働きはじめて8ヶ月が経とうとしていますが,本当にこの言葉を実感させられることが多々ありました。
詳しくは書けませんが,今まで自分が育ってきた環境や親子像では解釈しきれないこともあるんだなぁと思っています。と同時に,今の自分をふり返っては,導いてくれたいろんな人々に感謝しなくちゃなぁと思わされます。
私もまだまだ未熟者です。あれもこれもまだまだ先輩方には劣ってる(当然だよなぁぁぁ)。がんばらなくちゃ!努力しなくては!と焦る思いもありつつ,私の潜在能力って何なんだろう?爆発させるためにはどうすりゃいいんだ?とのんきに思ったりもしつつ,明日からまた一週間がんばるぞい。
もっちい君,体には気をつけてね。
- 113
- 玉尼様からのお言葉です。
- 投稿者:玉尼様
- 投稿日:2004/06/23 (Wed) 21:45:17
○ 「信じる」ということについて,金メッキに例えてお話します。本を読んだり,話を聞いたりして得られた「教え」を金メッキに見立てると,「信じる」ということは,その金メッキを自分の体に塗ることといえます。「信じつづける」ことは,金メッキを幾重にも塗ることです。金メッキを塗り続ければ,その金メッキは剥がれず,最終的には金メッキが本物の金となるのです。言い換えるならば,「教え」を信じ続けることで,その「教え」がその人の人格そのものになりうるということです。
しかし,「信じる」心がなくなるとそのメッキは徐々に剥がれていきます。また,時には一瞬にしてメッキが剥がれ落ちてしまうこともあります。その人にとっての「魔」という溶解液に飛び込んでしまった時です。
一生,金メッキを塗りつづけるためにも,「信じる」心を持ちつづけてください。
また「信じる」心は自分の中の潜在意識を導き出す引き金にもなります。「信じる」心はα波となり,緊張した心を落ち着かせてくれます。緊張がほぐれると潜在意識,過去の記憶,さらには前世で経験したことなど,あらゆることが芋づる式に導き出されます。その結果,自分の力を最大限に発揮することができるのです。
「信じる」心は物事を成就させてくれます。
○ 先日,イラクで3人のジャーナリストが誘拐された事件についてお話します。
この事件で一番の焦点となったのは「自己責任」です。私は,「自己責任」は「武士道」と同じであると思います。日本人にとっての「自己責任」は,いかなる条件でも「命乞い」をしないことです。
「忠」と「孝」からの行動であっても,「命乞い」をしない覚悟がなければ,イラクでのボランティアはできないのです。ボランティアとは,見返りを求めない行動です。これは,本人達にとってはあたりまえのことなのですが,その行動を許した家族は,許したその瞬間に「覚悟」をしなければならないのです。今回も,日本の政府が禁じている行動(危険地域への一般人の入国)を許した段階で,家族は命乞いをしない覚悟をしなければならなかったのです。それが育てた親の責任です。
日本人の心の中には,脈々と「忠臣蔵」の心があるのです。民衆は本懐を遂げた四十七士の命乞いをしましたが,切腹させられたことで武士道が成り立ったのです。大和魂が終戦後の教育を受けた人達の中に残っていたことがすばらしくうれしいことです。
- 114
- 玉尼様からです。その2
- 投稿者:玉尼様
- 投稿日:2004/07/06 (Tue) 19:33:40
Tさんへ
A氏,B氏からの相談や悩み事について,玉尼様がしなければならない聞き役をあなたは代わりにしてくださいました。
きっとそれは,「玉尼様の代わりになれれば」,「玉尼様を少しでも助けられれば」という思いのみでして下さったのでしょう。本当ならば,一級建築士のあなたがここまでしなくてもいいことだったのに・・・・あなたのその気持ち,本当に感謝いたします。
あなたに,ひとつお答えをいたします。
これからの時代,一級建築士であっても,自分から動かなければ仕事がこない時代になります。相手に建築の意思がない,計画もない。それでも相談なり,話を持ちかけて相手の持っている宝(不動産)を活かし,自分の仕事にしていかなければなりません。
きっとこの一年で,学ばれたと思いますが,今までにない建築士のあり方になってくるでしょう。
これは,信じて,ただ信じて,自分以外の人のために働いたあなたへのお答えです。
あなたがなさったことは,利他愛そのものです。
「利他愛」。この心で接することで蔵がたつのです。
- 115
- 自分の中で
- 投稿者:M.H
- 投稿日:2005/07/12 (Tue) 23:23:43
はじめまして、M.Hと申します。掲示板に書き込むのは初めてなのですが僕が思ったことを書き込みしようと思います。思ったことを文字にするのはとても難しく書ききれない部分はあると思いますが、よろしくお願いします。
{僕自身の話}
少し前までの僕は「いったいどうしたらいいんだろう、どうするべきなんだろう」こんなことを思う毎日が続いていました。家が自営業ということもあり小さいころから父親にしかれたレールの上を歩いていた僕には自分が父親から呆れられ見放されてしまったら何も考えることができず、今、自分がいったいどうするべきなのかまったく解らなくなりました。
現在僕は父親が経営する会社ではなく、父親から紹介された事務所で働いています。その事務所にお世話になろうと決めたのには色々と理由があります。今の事務所で働くことによって資格を取って将来父親が経営する会社に戻るとき、資格を会社に持って戻ろうと考えたからです。資格をもって帰ることによって会社に何かプラスになればいいなあと考えて今の事務所で働こうと思いました。しかし今年の試験は失敗してしまい父親からは僕が何をしたいのかが解らないと見放され今の事務所を辞めて帰って来いと言われ、僕自身どうするべきなのか解らない、そんな時、玉尼様とお話ができるきっかけをつくていただいて話すことができ、今本当の僕はどうしたいのかが、ようやく解った気がします。まだまだ自分の出したその答えには不安になることもありますが、今は自分の出したその答えに向かって進んでいくしかないと信じ進もうと思います。僕が資格を取って自分自身の門を開いた時が父親への親孝行と思い一歩一歩がんばっていきます。
言葉では表せられない貴重な体験やお言葉、本当に感謝しています。この書き込みだけでは何のことか解らないとは思いますが自分の中での一歩が踏み出せたと僕は感じています。ありがとうございました。
- 116
- >M.Hさん
- 投稿者:大家
- 投稿日:2005/07/13 (Wed) 18:53:18
こんにちは。このHPを運営している大家です。書き込みありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。
私も思ったことを文字にして表現するのが下手なので上手く伝わるかどうか分かりませんが書いてみてます。
M.Hさんの思う気持ち「いったいどうしたらいいんだろう、どうするべきなんだろう」分かります。多分多くに人が少なからず持っている気持ちだと思います。少し理系的な言い方になりますが、例えばの話です。1本のえんぴつを買おうとします。お店に行って鉛筆を探すわけですが、鉛筆の価格が100円とか10000円とか表示してあります。そこで人はその価格を基準に判断をします。1本が10000円もする鉛筆なら買わないでしょうし、100円なら買うでしょう。つまりそこには『価格』というある指標(基準)があって、その基準を元に判断して行為(この場合だと買うor買わない)を進めていると思います。その判断をするのは自分自身であって判断をするときに自分に対する自信(言い換えれば”言い訳”)を確信して行為を進めていくのだと思います。
この一例は極端だったかもしれませんが、要するに人が行為を行うのにはそれなりの理由を無理やりにでも作って(無意識にしている部分もあるかと思います。)行っていると思います。
→私の私見ですが。
事が大きくなればなるほどその『理由』の確からしさに自信が持てないと躊躇してしまうし、その『理由』が全く見つからないと行為を進めていく自信がなっかたり、進めていく目的を見失ったりして『よく分からない・・・』という気持ちになってくるのかなと思います。
幸い私は今までの人生で大きく迷ったということは御座いませんでしたが、玉尼様にご指導頂いた経験と感想を紹介させていただきたいと思います。
**********
幼少の頃より動く物が大好きだった私は車、飛行機、電車、船・・・などそういった動く物を作るところで働きたいと思っておりました。いざ就職先の選択という岐路にたった時に全く違う今の仕事を玉尼様にご指導頂き、今でも楽しく仕事をさせていただいております。ご指導頂いた時には全く考えていなかった分野ではありましたが、今では良い環境、良い会社で仕事が出来ているなと実感しています。
**********
いろいろと書いているとよく分からなくなってきましたが、
私見で理論的になりますがすが人の行為は・・・、
①ある「行為」
↓
②「行為」の利得の考察
・もので言えば価格とか。
・損得とか目標とか。
・あるいは社会や他人にたいしてこうしてあげたいとか。
↓
③利得の判断材料の収集
・価格の高い低いとか。
・損得や目標が明確なのか。
・気持ちが強いのか、本当にそうしたいのか。
↓
④利得の判断
↓
⑤「行為」の実行
↓
⑥結果・結論
↓
⑦喜び、或いは、失敗
ここで迷う要因の多くは、
③判断材料があるのかないのか
かと思います。
上の例のように物を買う行為では価格という指標があるので『判断』をしやすいですが、人生の岐路のように未来も分からない、どう判断してよいか分からない・・・という場合が迷いかと思います。自分に確たる目標とかあの人のために、この社会のためにとかいう強い気持ちがあればその判断も簡単なのでしょう。
私は玉尼様にご指導頂いた時はその『判断材料』になる部分が欠落していてその『判断材料』を『玉尼様がご指導頂いたから』として行為を進めたこともあります。私は、玉尼様は決して謝った方向へご指導されることはないと思っておりますので、何年かかるかあるいは数日で結果が見えてくるか分かりませんが、玉尼様のご指導頂いた『判断材料』によって『判断』した方向、目標を信じて行為を進めていこうと思っております。
長くなりましたが、私の経験と感想を書いてみました。
また何かありましたら投稿下さいませ。
- 117
- 近況
- 投稿者:mocchy
- 投稿日:2005/07/14 (Thu) 04:10:08
久しぶりに書き込みをします。
ここ半年のことを書こうと思いますが、まとまりのない文章になりそうなので、3月までと4月からの2つに分けて書きます(といってもまとまるかどうか…)。
3月までの自分
半年以上前、どうしたものかと玉尼様に相談をし、「〜をやりなさい」とお言葉をいただきました。その場では「はい」と答えたものの、徐々にそのお言葉を自分自身の都合がいいように「拡大解釈」し始めていました。それは本質を問うことなく、上辺だけで「やればいいだろう」という調子だったため、何度も何度も軌道修正をしていただく結果となりました。それでも本質を完全に理解することが出来ないそのときの自分は、その場その場で「はい」とわかった気になって、軌道修正をしていただいていることにすら気がつかない状態でした。
そして「突然の恩師からの仕事の誘い」を、それまでの「玉尼様のお言葉の都合のいい自己拡大解釈」にそって判断してお断りしてしまいました。それまでことあるごと玉尼様に相談して、軌道修正までしていただいていたにもかかわらず、そんな大事なことを相談することなく、結局、自分自身の判断で決めてしまったわけです。
玉尼様のお言葉を丸ごと飲み込むことを躊躇うことは、玉尼様を全く信じていないということと同義で、拡大解釈や都合のいい自己解釈は「信じていない」行為だったと知らしめられました。それまでのあまりにも本質を欠いた行為と本筋からかけ離れた行為は「信じていない」ことのあらわれであったと考えさせられました。さらに、玉尼様がかけてくれるお言葉は自分の霊体の言葉と同じであるから、それをやることが一番の近道であり、それはむしろ、肉体の自分に最良の選択であると再認識させられました。
4月からの自分
人生を地図に例えるならば、玉尼様はその地図の最短ルートを知る唯一無二の道案内が出来る方なのに、その道案内を聞かなかったり、勝手に判断してしまうと、確実に迷うか遠回りすることになる。
この時点で自分はせっかくの近道を棒に振ったわけで、遠回りせざるをえないと覚悟しました。もとのルートに「信じる」気持ちで戻れるよう、少しずつでも間違いなく歩を進めなくてはならないとゼロから再出発になりました。その間も玉尼様のご厚意により、様々な人たちからの助けを得ることが出来て感謝しています。また、それだけ今の自分は移ろいやすく危ういのだということも自覚しました。
そんな折、恩師が某国より大学教授を招聘し、その接待を手伝う機会に恵まれました。2週間の滞在中、ほぼ毎日その教授に接していました。敬虔なイスラーム教徒である教授は信仰心が厚く、日本でも欠かさず祈りを捧げる姿に、「信じる」ことの強さや尊さを感じました。3月までの自分に欠けていたことを再認識させられる思いでした。ある日、ホテル近辺の神社仏閣巡りを一緒にして、神社仏閣もモスク同様、祈りの場のだと理解した教授の「信じて祈るということは宗教の違いで変わるものじゃない」という言葉に感銘し、よりいっそう接待にも気持ちが入ったような気がします。そして帰国時、自分が成すべきことをやり遂げたら報告へ行こうと考え、再会を誓い合いました。
これからの自分にとって、よい目標点ができた気がしますし、「信じる」ということとは何かを以前よりは理解できた良い機会だったように思います。
余談ですが、3月の自分の勝手な判断による過ちを犯した頃、それまでは電話口に出てくれていた姪(当時2歳)が頑なに会話することを拒否してお話をしてくれませんでした。そのとき「こんな自分ではダメなんだ」と直感し過ちを深く自覚しました。悔い改めなければ彼女は電話に出てくれないと悟りました。それから何度も電話の機会はありましたが、結局6月まで電話口に出てくれませんでした。ようやくお話が出来たときは「自分がダメというところからは抜け出したのかな」と感じました。
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- 最近思うこと
- 投稿者:小マメ
- 投稿日:2005/07/20 (Wed) 01:27:08
お久しぶりです。
僕は、ここしばらくは本当にのんびりと、平和に暮らしています。
それが一番の幸せだとも思うんですが。
ここ1年間を振り返って思うことがありまして、
僕のこの両の手は、拱く為ではなく、伸ばす為にこそあるんだなあ、と。
元来臆病者で面倒臭がりの僕は、いつも新しいコトを始める、その1歩を踏み出すまでにえらく時間が掛かってしまうんですが、
玉尼様が示して下さる方向に手を伸ばせば、必ず道は開けてくるんだなあ、ということをこの1年で特に強く実感してきました。
手を拱く暇があれば、まず手を伸ばしてみる。
その時、玉尼様に正しい方向を示していただける僕たちは、きっと幸せなんだと思います。
玉尼様にお話を聞かせていただいたからには、あれこれと考えずに、まず実行に移す。
それがある意味での「責任」というか、けじめのようなものなんだと、僕は思っております。
何だか具体性の無い話を書き連ねてしまいましたが、
今こうして悩みも無く、平和な日々を送りながら、
ふとこれまでを振り返ると、こんなことを感じたということで・・・。
それでは、お目汚し、失礼いたしました。
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- 今ある幸せ
- 投稿者:わあ
- 投稿日:2007/08/15 (Wed) 00:02:48
本当に久しぶりに書き込みをさせていただきます。
ご無沙汰している間、色々な出来事がありました。人生で最も大きな喜びと、最も深い悲しみも味わいました。それでも今、私がこうして心から幸せと思う日々を送ることができているのは、玉尼様のおかげです。
これまで、私は玉尼様のお言葉や教えに何度も何度も救われてきました。今回は、最近の私の身体に起こった出来事をお話ししたいと思います。
昨年末、私は左目のかすみを感じていました。今まで視力がよかったものですから、そろそろ視力が落ちる歳なのだろうか、職業柄、目が疲れているのだろうかと思いつつ、新年を迎えました。一週間後、急激な視力の低下と視界の暗さを感じましたが、近いうちに眼科に行けばいいと安易に考えていました。その様子が気になった主人がこのことを玉尼様に伝えたところ、慌てた声で玉尼様からお電話がありました。「あなたの目の病気は底翳(ソコヒ)である。今なら失明を免れるから、すぐに病院に行きなさい。今なら間に合うから落ち着いて、大丈夫だから・・・。」と。そして、どこの眼科で受診すればいいのかも教えていただきました。翌朝、その眼科で主人の母に付き添われ、検査を受けたところ、私の症状に詳しい院長先生の診察を受けることができ、「視神経炎」との診断結果でした。まさに、目の底が緋色に(赤く)腫れ、発見が遅れると失明の危険性がある病気でした。即、入院し、大量のステロイドを投与する治療を受けた結果、一週間で炎症が収まり、退院することができました。その後通院し、強い副作用のあるステロイドを徐々に減らしながら、回復に努めました。この間も、玉尼様にはステロイド剤の副作用と対処法、身体のいたわり方を細かくご指示いただきました。そして四ヶ月ほどで、無事視力を回復することができました。最後の診療の際、院長先生に「あなたは治療が間に合ったからよかった。遅れていたらと視力の回復は難しかったでしょう。」と言われ、改めて玉尼様のお言葉に感謝いたしました。
実は、私は、その一年半ほど前、大きな出来事を体験し、それを知った玉尼様から「しっかり栄養を取りなさい。特に牛肉などのたんぱく質。そうしないと、目に障害が出ますよ。」とのお言葉を頂いていたのですが、それから時間が過ぎていたこともあり、すっかり気を付けることを忘れていたのです。気をつけることを忘れていたというより、そのお言葉があったことさえ忘れていたのです。せっかくいただいたお言葉を忘れ、ただ漠然と日々生活していた私ですが、それでもそんな私のことを救ってくださったこと。今ある幸せに私を導いてくださったことに本当に感謝しています。
何だか長々と書いてしまいました。
また、色々私の体験したことを書いていければと思っております。
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- 同じ悩みを抱えている方に手紙を書いてほしいと先生に依頼されました。その手紙です。
- 投稿者:成峰(せいほう)
- 投稿日:2007/08/17 (Fri) 00:30:44
初めてお手紙さしあげます。Aと申します。
いつもB様のお母様には大変お世話になっております。
私の6歳になります息子についてお便りさせて頂きました。
息子は未熟児で生まれ、生後1ヶ月のころから体が弱く2歳まで入退院を繰り返しておりました。また、授乳中に体がピクピクと動く痙攣と眼球が揺れる症状に気づき、総合病院にてCT、脳波の検査を受けました。結果は今のところはまだはっきりとは分からないが、成長するにつれて症状がはっきりと出てくる可能性があるとのことでした。
思いもよらないことで間違いであってほしいと思っておりました。
1歳半を過ぎる頃、風邪からの発熱で突然の痙攣を引き起こし、呼吸停止となり緊急入院となりました。このとき脳波の異常は見つかりませんでしたが「てんかん」の疑いがあると診断されました。親として我が子の健康のみ願っておりましたので、私達夫婦は大変不安になり脳波の定期検査を受ける事にしました。
数回目の脳波定期検査で、医師から軽いてんかん波のような波が見られ、まだ、「てんかん」と確定はできないが幼稚園で保育士の目が届かないところや水遊び中に、もし発作が起こると危険だから、てんかん予防の薬(抗うつ剤)を勧められました。
私達夫婦は悩み先生に相談しましたところ、「てんかん」ではないので薬は使わないようにと教えていただきました。ですが、医師の説明にあったように、もし、発作に気がつかなかったらと思うと怖く戸惑いました。私達夫婦はこの息子の視力、言語、成長の遅れに悩み、さらに「てんかん」の疑いがある不安のなかで、薬の服用を決めてしまいました。
一日服用したときに先生から電話をいただき、服用している事をお話しましたら、この薬の副作用の怖さを教えていただきました。
この薬は副作用が強くて起きているのに半分眠った状態になる催眠作用や倦怠感があり集中力の低下、運動能力の低下など生活に影響が出てくるものでした。
服用を続けると間違いなく運動能力や脳神経の発育が遅れ取り返しがつかなくなる、今この子に必要な事は、発達の遅れている視力(弱視、眼振、遠視、乱視)や能力(言語、運動)を育てる事だとお話をしてくださいました。縄跳びや左利きですが右手でキャッチボールをすることで運動神経、脳神経が刺激されて視力が良くなる事と、言語や表現力が育つと教えて頂きました。
一晩、本当に悩みましたが、病院ではまだ「てんかんの疑い」とはっきりしない診断でしたし服用した場合の副作用を考えたときに、私達夫婦がいつか必ず守ってあげられないときが来たときにつらい思いをするのは息子ではないかと思いました。
息子の将来が少しでも良くなるのであれば、少しでも希望があるのであれば、親としてどんな事でもやってあげようと先生にご指導頂いたことを続けて参りました。
薬の服用をしないことを決めた場合にやはり数値としての結果も必要でありますので、脳波の定期検査は受けて参りました。3年が経ち現在は医師にも驚くような結果をいただき、この4月11日には無事に小学校へ入学できました。
先生の教えを、泣きながら毎日続けてきたことでこんなに嬉しい日を迎えることができたのだと思います。
子供の成長はそれぞれ違うとは存じますが、親が成長期にどのように手助けするかによって、大きく変わってくることを感じる事ができました。
6歳までがとても大事です。少しずつではありますが、必ず結果は現れて参りますので、どうかお子様の成長を信じ、励ましてあげてください。
私達夫婦と息子のほんの小さな体験ではありますが、何か少しでもお役に立てればと、誕生から6歳までの経過を箇条書きにしました。
又、勝手な思いを綴りました事を御許し下さいませ。