- 121
- 追記です。
- 投稿者:成峰(せいほう)
- 投稿日:2007/08/17 (Fri) 00:41:32
<誕生>
子供の状態:未熟児で体力がなく風をこじらせ2歳までに入院を5回
A病院:未熟児として生まれ生後一月目に眼振と身体がピクピクと動く異常に気付き病院にて診察を受ける CT、脳波の検査を受けるが、特に問題が見つからないが成長するにつれて分かる可能性もある
<1歳6ヶ月>
子供の状態:2歳から保育園に入る
A病院:風邪から熱性痙攣で入院「てんかん」の疑いあり脳波検査を受け異常ないが脳波の定期検査を勧められる
<3歳>
A病院:脳波定期検査で、軽いてんかん波のような波がみられてんかん予防の薬(坑うつ剤)を勧められる。3歳児の平均より言語の発達が遅れているので毎週1回45分の言語療法(発音・考え方)を始める
B病院:眼振があることと視力が右0.3左0.2と育っていないとの診断 弱視用矯正眼鏡をかけて視力を育てる方針
先生のご指導:てんかん予防の薬(坑うつ剤)は飲まさず、運動とカワイの肝油(ビタミンE入り)を飲ませるようにご指導いただく
運動についての詳細:毎朝大きなボールで遊ぶ 縄跳びは数ヶ月間、下に置いた紐を両足で飛び越える練習と、なわを回す練習 ケンケンパーなどで縄跳びに必要な動作を練習
<3歳から4歳>
子供の状態:同じ歳の子供の平均より運動能力、言語や表現力の発達が遅れている
A病院:脳波定期検査で、軽いてんかん波のような波が見られる。言語療法を続ける。
B病院:少しずつ視力が上がる。眼振があるので弱視のみの子供に比べると視力が育ち難い。
先生のご指導:運動、キャッチボールと縄跳びを続けること
運動についての詳細:両手でなわを回す練習と回したなわをまたがせる練習が数ヶ月続く。兄、姉の飛ぶところを見せて4歳でやっと数回飛ぶ。小さなやわらかいボールでキャッチボールを始める
<4歳から5歳>
子供の状態:C塾の幼児教室で歌やカルタ、読み書き、数のプリントを始める。縄跳びやキャッチボールが上達するにしたがって自信がついてきた
A病院:脳波定期検査で、軽いてんかん波のような波が見られる。言語療法を続ける。
B病院:診察のたびに眼振が少なくなっているとのこと。
先生のご指導:左手で字を書いていたが右に変える
運動についての詳細:縄跳びは30〜50回飛べるようになるキャッチボールはボールを落とさず取れるようになってきた。ドッジボール、サッカーもあわせて秋が来ないように続けた。
<5歳から6歳>
子供の状態:ひらがなの読み書き、数字の読み書きが出来るようになる。言葉や動きでの表現力が豊かになってきた。積極的に新しい事に取り組むようになってきた。
A病院:脳波定期検査で、てんかん波は見られなくなったが、半年に一度の定期検査は続ける。言語療法は続ける。
B病院:診察のたびに眼振が少なくなっているとのこと。
先生のご指導:カワイの肝油からサメ肝油に変える。家庭でカルタをする。小学校1年生の国語の教科書を毎日読む。
運動についての詳細:縄跳びは100〜150回飛べるようになった。キャッチボールは小学校1,2年生のレベルになった。
<6歳から現在>
子供の状態:いままで子供なりに劣等感をもっていたようだが、「何でもあきらめず続けると出来るようになる」と本人の大きな自信になっているようだ。
A病院:2回目、3回目の脳波定期検査も、てんかん波は見られなく、主治医の先生から「問題はありません」と言われた。言語療法では、IQテストを行う。IQの数値は生まれついてのものなので、あまり変わることは無い様だが、数値が倍に伸びていたことで驚かれる。
B病院:視力検査の結果、左0.5右0.9 点眼剤で視力の良い方をぼやかして悪いほうを伸ばす治療を勧められる
D眼科:視力検査の結果、左1.0右1.0 点眼剤の必要はなく、近くのもの(ゲームなど)を集中してみることで視力が良くなるとのこと。眼振は小学校生活のために早めに手術をすることを勧められる。
先生のご指導:点眼剤で視力をぼやかすことの相談の答えは、聖母眼科で検査してくるように指導された。左目の視力を伸ばすために食事の時も右手でお箸を使うように。右手を動かすことで左の神経の発達が良くなってくるので右手でピアノを弾くこと。
運動についての詳細:縄跳びは前飛び150回、後ろ飛び30回、駆け足飛び50回が出来るようになる。キャッチボール、ドッジボールも上達している。
- 122
- 政治について
- 投稿者:○ーじ
- 投稿日:2007/08/20 (Mon) 14:57:21
皆さんは政治についてはどのように興味がおありですか?
最近では、防衛省の後任事務次官任命のゴタゴタ、テロ対策特別措置法延長の問題などがありますね。参議院選挙での自民党敗北、民主党第一党化はまだまだ記憶に新しいところです。
皆様にとって、支持政党に対する考えは色々おありだと思います。先の参議院選挙で、今まで野党であった民主党が大勝し、参議院の責任政党となりました。敗北した自民党はどうなるのでしょう?一方、民主党にとっては長年の念願が叶い、過半数以上の議席を確保しました。これからは責任政党として行動していかなくてはなりません。今後の自民党と民主党はどうなるのだろうと思っていましたところ、玉尼様からお言葉を賜りました。
霊界では、民主党が責任政党となったことだけでなく、あまりに予想外の大勝であったそうです。つまり、これほど民主党が大勝するとは思っていなかったそうです。また、これで自民党は大変だろうと思うでしょうが、民主党にとっては責任政党になるのは早すぎたのだそうです。現在の世界情勢の中では、今まで借りてきた猫のように発言できていた小沢氏も、これで己の本質である虎に変わらなければならなくなるであろう。この虎が力を発揮しだすことにより、民主党割れが起こることのほうが心配であるそうです。
霊界では、いつもの答えのように、すべてのことは災い転じて福となす、であるとおっしゃっていました。つまり、民主党割れが起こったとしたら、その議員と、自民党員の中で同じ思想をもった議員とが、新しい政党をつくるでしょう。それは責任政党ということではなく、第2、あるいは第3党ということでもありません。同じ思想を持った党ができること、そのほうが日本にとってはよいことであるのだそうです。
私は、今回、玉尼様に教わったことで、民主党と自民党、これからどのようになるのか、じっくり政治展開を見てみたい、と思いました。皆様もどちらを支持し、どうされていくのかの判断は先延ばしにしてみてはいかがでしょう。
- 123
- 玉尼様に助けられたこと−その1
- 投稿者:シュワッチ
- 投稿日:2007/08/23 (Thu) 17:50:31
私は56歳の歯科医師です。主人も歯科医師で、2人で一緒に開業して今年で26年になります。結婚のときからお世話になっていた松井さんに「神様が降りてきたらしいよ」と聞いておそるおそる会いに行ったのが玉尼様との出会いでした。18年前のことです。その時から今に至るまで私たち家族は玉尼様から多くの奇跡や喜びをいただきました。本当にありがたいと思っています。今回はそのなかのひとつのお話を書かせていただきます。いまでもその時のことは鮮明に覚えています。玉尼様が「いずれ笑い話になりますよ」といわれたとおり、いまでは子供たちに笑って話をしますが、その時はつらくて、つらくて毎日1人隠れて泣いていました。1997年の12月のことでした。次女の進学で悩みがあって主人が玉尼様にご相談したいといいますので、そのときに以前から気になっていた主人の首の右の付け根のしこりについてもお聞きしてみようと出かけました。子供の相談が終わって、主人の話を持ち出しました。「主人の首を触ったとたん玉尼様の顔色が変わった」と後で松井さんが話したくれたのですが、私たちには、「大丈夫ですよ、まだ病気はここだけです。取ってしまえばいいだけです。今なら間に合いますので早く病院で検査を受けるように。」といわれました。その足で知り合いの口腔外科の先生のご自宅を訪ねしこりの話をしました。主人に触れた先生の顔色が変わり「外科の先生を紹介しますので明日にでも検査をした方がいいですね。」といわれ手続きをしていただきました。ほんとうは2日かかる検査を次の日1日でして、翌日に結果がでました。腺癌でした。首のしこりは癌の転移巣で原発部位があるはずなのですが、それがどうしても特定されず外科の先生たちも困っていました。でも現に転移巣があるのですから早く手術で取り除く必要があるわけです。「転移巣が大きいので癌も末期だろう」というのが見解のようで、「でも原発部位が分からない。とりあえず手術をしましょう」という事になりました。しかし「病院が正月休みに入るので年が明けて1月7日以降の入院になります。」といわれたのが12月26日でした。玉尼様に電話をしましたら、「いまなら間に合うが年が明けると手遅れになる。原発部位が分からないのも、目を変えたら分かります。病院を変えましよういいですね」といわれました。次の日に玉尼さまに紹介いただいた外科のK先生をお訪ねすると、先生はヘルニアの手術をなさった直後で、その病院に入院されていました。主人の状態を診て「早く手術をやったほうがいいでしょう。検査をやる時間がないので前の病院の検査資料を貸し出してもらってください。」といわれました。K 先生から資料請求の紹介状を書いていただき、前の病院の担当医から資料を頂きました。大急ぎで病院に戻りK 先生に資料を渡すと、とすでに入院している主人と一緒に結果がでるのを待ちました。その間は不安と心配で胸がいっぱいで、玉尼様に電話をいれると「病気はその場所だけです。間に合いますから診る目を変えて診てもらいましょう。」と前とおなじお言葉でした。何時間たったのかK先生から結果についてのお話があると呼ばれました。主人と二人で聞いた内容は玉尼様のお話と同じでした。つまり腺癌の原発部位は甲状腺で、しこりはその所属リンパ節への転移でした。病気はその場所だけにとどまっていたのです。そして「手術は可能です。できるだけ早くやりましょう。ただ声帯の神経に癌が巻き付いていますので最悪は神経を切ることになります。神経は二本ありますから大丈夫ですが声がしわがれ声になりますよ。」といわれました。目を変えて診ると同じ資料から何人もの外科医が躍起になってさがしても見つからなかった原発部位が見つかったのです。私たちが待っているあいだに、先生は放射線科の先生と資料に目を通し原発部位を見つけ、治療計画や手術計画などをたて、そしてヘルニアで入院している自分の代わりに執刀できる外科医に連絡をとっていました。しかしすでに病院が正月休みに入っていてその外科医と連絡が取れず、K先生が執刀することになりました。これも本当に幸運でした。後で聞いたのですが、癌の手術についてK先生は県下随一の腕をお持ちだったのです。翌日、心機能や肝機能など手術に耐えられるかどうかの検査をし、その翌日手術を行いました。K先生に診て頂いたのが12月27日。そして手術がその二日後の12月29日でした。5時間の手術が終わりK先生から手術のお話を伺いました。癌は予想通り声帯の神経に巻き付いていてやむなく神経を切った事。そして癌の一部が鎖骨下静脈という大きな血管に癒着していて、もうすこし遅ければ手遅れになるところだった事。「年を越せば手遅れになりますよ。」とおっしゃった玉尼様の言葉通りでした。あれから10年になります。あのとき小学4年生だった末の娘も今年20歳の大学生になりました。玉尼様に助けられ今の私たち家族の幸せがあることに感謝しております。
- 124
- 息子のこと
- 投稿者:GON
- 投稿日:2007/08/26 (Sun) 21:03:30
私は13年ほど前に玉尼様と出会いました。愛する主人と結婚でき、幸せな家庭を築けているのは、玉尼様のお導きがあってこそです。
私の息子は昨年の春、小学校に入学しました。それまで通っていた保育所では、毎日元気に楽しく過ごせていたようで、他のこどもたちと比べると活発でしたが、先生から特に指摘を受けるようなことはありませんでした。小学校の入学式の5日後に、担任の先生からお話がありました。最初は、学校での様子を家庭で話ができているか?というような内容でしたが、要するに授業中に席に座っていられず、うろうろして困るということでした。また、自分が落ち着かないだけでなく、友達の物を取って勉強の邪魔をして迷惑をかけているとのこと。自宅に帰り、息子に問いただすと自分は真面目にできていると返答しました。当初の私たち親の考えは、学校生活に慣れてくれば自然と治ってくるだろうと安易なものでした。しかしそれからほぼ毎日、担任の先生から学校での様子(問題点)を知らせる電話がかかってきました。私たちは、だんだんとただならぬ息子の言動に悩みはじめました。さらには5月に入ると暴力行為に耐えかねた同じクラスの児童の母親から、直接電話があり、家庭でのしつけについてなど叱咤され、私は平謝りに謝りました。このようなことがある度に息子にじっくりと話をして言い聞かせたり、時には怒鳴ったりもしましたが、なかなか効き目はありませんでした。
玉尼様に息子の悩みを相談しました。玉尼様は直接息子と会って二つの約束をしてくださいました。まず、人と話をするときは必ず相手の目をじっと見ること。決してキョロキョロしない。それから、辛抱すること。つまり、腹がたつことがあってもグッと堪えることです。わがままな気持ちをコントロールする練習です。玉尼様と約束してから生活態度が少しずつ改善していきました。また、玉尼様のススメで念願のサッカーを始めたり、石鎚山のお山開きにも参加させていただきました。それまで息子を諭す術もなく閉口していた私たちは、改善していく息子を見て、ほっと胸を撫で下ろしました。
そして、一学期末の懇談で担任先生に、「昨日の体育の授業の終わり頃、きちんと体育座りをして動かないで一番上手に話を聞けたのは、S君(息子)でしたよ!みんな喉も渇いていたし疲れていたのでゴゾゴゾしていた中で本当に頑張れていましたよ」と褒めていただきました。あれほど落ち着きの無かった子が!?驚きと嬉しさでいっぱいになりました。また、以前は暴力的でクラスメイトから恐れられたり、常に悪いことをするというレッテルを貼られていたために、善意でしようとしたことでも友達から誤解され、本人もかなり辛い思いをしていたようですが、今では自分が悪い時は素直に謝ったり、グッと堪えることができるようになり暴力はなくなったので、友達もできて学校生活を楽しんでいるというような話もしてくださいました。懇談の後、私は息子に「今日、先生に褒められたよ。頑張っているね。」と言うと、息子はちょっと照れたような表情をして、「玉尼様のところに褒められたことを言いに行きたいので連れて行って欲しい」と言いました。そして、玉尼様にご褒美をいただきました。息子は褒められたことで、いろいろな事に少しずつ自信もついてきてたくましく見えました。
今年の石鎚山の山開きでは、初参加の1歳年下と同じ年の男子と一緒に登拝しました。3人の男子の中で息子が経験者として立派にリーダーを務めることができました。精神的に成長できました。ここでのリーダーシップはチームプレーのサッカーに今後活かさせるに違いありません。
このように息子が変われたのは、玉尼様のお陰です。心より感謝いたします。
- 125
- 玉尼様との出会い
- 投稿者:O(オー)教授(元インディアナ大学教授)
- 投稿日:2007/09/09 (Sun) 20:39:43
午後の日差しが、打ち水を受けた庭の夏草の香りをのせて、そそとして和室に入って来た。それは、3年前の初秋のとても落ち着いた雰囲気を漂わせた玉尼様との松井さんのお宅での出会い日であった。
アメリカの田舎町から、日本に学会の用で家内と一時帰国した際、以前より、親しくさせて戴いているご夫婦で矯正歯科医をされている川上先生ご夫妻のご紹介で、玉尼様に会わせて戴きました。わざわざご多用の中、快く我々のために時間を割いて頂き、その上、貴重なお話しや、体験をさせて頂きました。
その日、玉尼様にお会いさせていただけたのは、川上ご夫妻、家内の姉、そして我々夫婦であった。私が、現職前の大学を退官する1年前の秋であった。そろそろ、日ごろの不摂生と歳とで、色々と体の部分が自分の意思どおりに反応、機能してくれなくなってきた。特に、万年の腰痛、に加えて前立腺(これは、一過性のものであったが)の問題など等で、痛み止めの薬を医師に薦められて常用していた。痛み止めであるから、痛みを認知する脳のところを上手いことブロックして、痛く感じさせないだけであって、痛みを根治してくれているわけではない。でも、これを取ると一時的には楽なので、ついつい几帳面にクスリ(これを逆に読むと、なんと!リスクとなる)をとっていた。これと関係があるのか否か不明であるが、左目の下半分は緑内障で視神経が永久に損傷を受けている。肩の凝りも相当なものである。玉尼様には、腰痛、緑内障、肩こりを訴えた。「オレンジ色の容器に入っている薬はお止めなさい。」と一言。そろそろ、慣れない正座が耐えられなくなった時。でも、痺れもどこかに行ってしまった程の驚きを先ず覚えた。玉尼様には、ちゃんと、常備し常用している、痛み止めのクスリのオレンジ色の容器が見えていたである。サー、大変!隠す事がなくなってしまった!」。玉尼様には、全て、お分かりの様子である。続いて、「あなたの右の目は今は何の問題がないようであるが、却って私には心配です。右目への血管の方が今現在、緑内障を患っている左目への血管より細いです。充分、懲りをほぐして、お気をつけください。」とも言われた。その日に、ホテルに戻って直ぐに痛み止めのクスリを捨てました。また、努めて、鍼とマッサージで、懲りが残らないようにも努力しております。お蔭さまで、あれから3年が経ちましたが、左目の緑内障はあれ以上悪化しておらず、また、右目はいたって健在であります。
その折、まだまだ不思議なことがありました。家内の胃のこと、姉の腰の事、など。そんな中、突然に玉尼様が「なにか、はっきりしませんが、鼻が鼻が、、、」と、おっしゃられた。
楽しい、緊張した時間から暇乞いをし、数日の観光を終え横浜の実家に戻りましたら、、、。当時93歳の父が自動車事故を起こし、アクセルとブレーキを踏み間違えて、かかりつけの歯科医のご実家のコンクリート製の門柱に正面衝突。結果として、門柱は壊れ、車は歯医者でなく廃車となり、父は鼻を切ってしまいました。たいした事にならずに、一応安心しました。が、この事故を起こした時が、丁度、玉尼様が「鼻、鼻、、」とおっしゃられた時間と一致する事が後でわかりました。父親は、心霊の存在を昔から信じ、父自身でも「だれだれの背後霊が自分には、いつもついている」といっております。ので、この玉尼様との一連の出会いから、頂戴したお話し、鼻の話しなどは、父には、全て素直に受け入れられる事だそうです。
霊界にいる素晴らしい方々と交信できる、玉尼様と松井さんに、巡り合わせて戴けた川上先生ご夫妻、彼等との出会いを可能としてくれた見えない力に、今でも感謝の気持ちでいっぱいである。
- 126
- 謙虚に・・・
- 投稿者:匿名
- 投稿日:2007/09/17 (Mon) 22:42:39
はじめまして。
これは,就職活動をしている人々に向けて私が話をした内容です。
一次合格の通知書は,神棚か仏壇にあげていますか?
なぜこんな話をするかといいますと,「感謝の気持ち」「謙虚な気持ち」をもつことが大切だからです。
なぜ大切なのか・・・
みなさんは一次試験に合格したのは「自分の力である」「自分が一生懸命勉強したからである」と思っているかもしれませんが,それは大きなまちがいです。もちろん,一生懸命に勉強したからであるということもあるでしょうが,それだけではないのです。
家族の協力や周囲の人々の支援などがあって,はじめて合格できたのです。自分の力だけで合格したと思っていると,それが二次試験の面接での言動となって自然にあらわれてきます。それは,鼻持ちならないものとなり,不合格になってくるのです。
神様やご先祖様,周囲の人々のおかげで合格できたのだという,「感謝の気持ち」をもたなくてはいけません。
お正月に初詣に行って,神様にいろいろとお願いすると思いますが,お願いに行くのではないのです。
「去年一年間,無事に過ごすことができました。ありがとうございました。」と感謝の気持ち,お礼の気持ちで参るものなのです。
感謝の気持ちを述べた後,「今年もどうかよろしくお願いします。」とお祈りするのです。
そのような謙虚さが大切であると私は思っています。
私もいろいろな役職を経験させていただきましたが,10年くらい前にある方から(その場では「ある方」と名前を伏せていましたが,玉尼様のことです。)「謙虚」と書かれたはがきをいただきました。
私自身が気付かないところで,おごりや高ぶりが傲慢な態度となり,鼻持ちならないものになっていた私を諭してくださったのだと思います。
そのはがきは,今でもいつもノートに挟んで,時々見ては自分の態度を振り返っています。
みなさんも,「感謝の気持ち」「謙虚さ」をもって二次試験に向かって勉強してください。
- 127
- 玉尼様との出会い
- 投稿者:元読売巨人軍 條辺 剛
- 投稿日:2007/10/18 (Thu) 14:25:35
僕が松井先生(玉尼様)と出会ったのは今から約1年前、香川に来て間もないころです。
香川に来る前、僕はプロ野球選手でした。高校卒業後、巨人に入団。投手をしていましたが、2003年からは肩の疲労に悩まされ、2005年に戦力外通告を受けました。その後トライアウトを受験しましたが獲得球団はなく、24歳で引退を余儀なくされました。お世話になっていた先輩から、第二の人生としてうどん屋の開業を勧められ、香川県でうどん屋修行をすることになりました。そして修行場所となったうどん屋の社長の紹介で松井先生と会うことになったのです。
初めて会った時、松井先生は、僕が何も話さない前に、ただ僕をじっと見て「あなたは家系の遺伝的に肩の後ろの筋肉がない。肩の前の筋肉が強いので、ボールを前に押し出す力はあるが、ひねりを加えたら後ろの筋肉がもたず前の肩に疲労がきていたのですね。あと1年野球を続けていたら、私生活にも影響し、うどんを打つこともできなかったでしょう。」と言いました。僕はその言葉に驚きを隠せませんでした。実は現役時代、何度となくトレーナーから肩の後ろの筋肉を鍛えるように言われ、ひたすらトレーニングに励みましたが、一向に筋肉がつかず、トレーナーからは「練習をさぼっているのではないか?」とまで言われていたからです。僕自身、自分の努力が足りなかったのではないか?という思いが払拭できず、野球を完全に諦めきれていなかったのも事実です。しかし、松井先生のこの言葉で、今までの気持ちが吹っ切れて野球に対する未練を断ち切ることができました。同時に、「肩の前の筋肉はうどんを打つには不可欠な筋肉で、あなたはその強い筋肉を活かしていいうどんが打てますよ。」とも言っていただき、うどん屋を目指す自信も持つことができました。
うどんを打つのは、自分が想像していた以上に体力を要する仕事で、野球とはまた違った大変さがありましたが、修行中も松井先生からは様々なアドバイスや励ましをいただきました。
今年に入り、うどんの修行をしながら、自分の店の開店準備を始めようとしていたときのことです。僕は以前から、妻の出身地である埼玉県で店を出そうと決めていて、その出店場所について妻と2人で松井先生のところへ相談に行きました。
すると松井先生は、土地勘もないはずの出店予定地域の地図を書き、その一角を指して「あなたのお母さん(妻の母)が気に入っている物件はここ?」と妻に尋ねました。香川にいる僕達の代わりに、妻の母が物件を探していてくれていたのですが、先生が指した場所は母が僕達に勧めてくれていた場所で、先生にはそれが見えていたのです。(あとで実際の地図と照らし合わせたところ、先生が書いた地図は実際の地図そっくりでびっくりしました。)先生はさらに「この道をまっすぐ進んだ角にある建物を当たってみなさい。」とも言いました。一度埼玉に帰省した際、母親と一緒に物件を探したことのある妻は、その場所は福祉関係のお店があったと記憶していて、その時は先生が言っている意味が分かりませんでした。もう一度調べなおしてみると、実際は妻の記憶違いで、そこが不動産屋であると判明しました。後日、その不動産屋さんを訪ねたところ、自分達が考えていた以上の好条件でいろいろな物件を紹介してくれました。
今年10月、1年余りを過ごした香川を離れ、今埼玉で開店準備を始めています。迷ったとき、悩んだとき、いつもあたたかく的確なアドバイスをくださる松井先生に出会えたこと、このように充実したきもちで新しい人生のスタートを迎えられることに感謝しています。
- 128
- 玉尼様
- 投稿者:玉尼様
- 投稿日:2007/10/23 (Tue) 20:26:15
今の子供たちの自殺、そしていじめる子達。その原因は、信じる心が備わっていないからなのです。
信じる心は、すがる、すがれる心なのです。
信じられる心を育てるのは、親なのです。
昔は、親達が子供を連れて、村や町の神様(八幡様、地鎮様)にお参りに行っていました。
鎮守の森の、また神社の境内の厳かな中に、何かしらわからない存在に親達が手を合わせている、その“手を合わせる”姿は、信仰心であり、信じる心、すがる心なのです。
その姿が子供の心に薫習(くんじゅう=香りが染み込んでいくように、心に植えつけられる)されるのです。
辛い時、又、反対に怒りの時に目に見えない神様に手を合わせられる子供であれば、悲しみや憎しみを神様に委ねることが出来るのです。
先祖の始まりは、親からです。今、私達が生きているのは、先祖があって脈々と繋がり、自分にまで達しているからなのです。そのことを教える方法は、先祖に手を合わせる姿を子供に見せることです。仏壇のない家でも、祖父母のお墓にはお参りすると思います。ご先祖のお墓に、何らかの原因でお参りすることが無理な場合は、お寺があります。宗派に関係なく、檀家でなくても、門徒でなくても、誰でもお参りすることが可能なお寺が身近にあるはずです。お寺で手を合わせてください。必ず先祖に繋がります。
霊界、仏界は、目に見えない波動の世界(4次元の世界)です。手を合わせて信じれば必ずご先祖様は本人の霊体を導いてくださり、思いつきやひらめきとして教えてくださり、救ってくださるのです。
欲を言えば、せめて月に一度、家族揃って神様には祝詞を唱えてください。そして、お寺の講話や、日本語に訳した仏教を学んでください。
日本は神道の国であり、仏教が根付いた、そして開花したすばらしい国なのです。
神は、許しの心を教えています。仏教は、慈悲、利他愛の心を教えています。ノストラダムスの予言では、「世界平和は東国から」、とあります。東国とは、許しの心を教える神道の国、慈悲の心、利他愛を教える仏教の国、日本国なのです。
- 129
- 長男のこと
- 投稿者:さる
- 投稿日:2007/11/13 (Tue) 09:55:13
私は12年前に玉尼様と出会いました。玉尼様のおかげで主人とその家族に出会い、3人の子供にも恵まれました。
長男が今年の春、小学校に入学しました。毎日友達と運動場で遊ぶのを楽しみに通ってます。こんな元気な姿が見られるのも玉尼様のおかげなのです。
生後5,6ヶ月の頃にあった尿の検査で再検査と診断され、その結果が聞かされたのが、丁度夏休みに主人の実家に帰っていたときでした。
携帯に何度も着信があり、かけてみると保健所からで、「神経芽細胞腫の可能性があるので至急検査を受けて欲しい」ということでした。急なことと聞いたこともない病名に驚き、動揺している私を主人の家族がいろいろとネットで調べて「大丈夫、大丈夫」と気遣ってくれました。玉尼様にもすがるような気持ちで相談したところ「大丈夫、東京に戻って検査を受けてきなさい」とおっしゃいました。
東京に戻り、小児病院で検査入院をしました。小さな身体にあらゆる検査を受ける姿をみながら「どうか間違いであってほしい」と思いましたが、結果は腫瘍が見つかり、「良性か悪性かは切ってみないとわからない、どうするかは親御さんで決めてください」と言われました。結果がでる前に玉尼様から「切らなくても自然になくなるから」と言ってもらっていたので、切らずに様子を見ていくことにしました。1ヶ月ごとにCT,2,3ヶ月ごとにMRIとそのために薬をのんだり眠らされたり。毎回検査が終わって帰宅する車の中で薬が効いて眠っている子どもの寝顔をみて涙が止まりませんでした。そんな私に玉尼様は「この子にすばらしい主治医ができたと思いなさい。毎月こうやって丁寧に身体のことを見てもらえるのだから」と言われ、気持ちを前向きに切り替えることができました。
様子を見だしてから1年を過ぎた頃から除々にですが腫瘍が小さくなってきました。本当にうれしくて、検査が終わるたびに「今回は何ミリ小さくなりました」と玉尼様に報告していました。その頃に私のお腹に双子が宿っていたので紹介状をもらって帰省し、善通寺の小児病院で2回目の検査を受けるころにはすっかり消えてしまっていました。
医学的になら消えてしまったのでそこで終わりなのでしょうが、玉尼様のアドバイスはそこからもありました。
双子の出産も無事に終わり、東京へ戻らないと、と考えていた時に、玉尼様から「この子は検査や薬、アレルギー(食べ物)で身体が弱い子になってしまっている。東京の空気よりもこの金比羅さんの、琴平の空気のもとでのびのびと育てなさい。そのためにこの子は置いて、主人の父母に預けなさい。」とおっしゃいました。確かに双子の育児をしながら長男も育てる自信は私にはありませんでした。全部のしわ寄せがこの子に向いてしまうのは私の性格上明らかでした。それよりも主人の父母の深い大きな愛情のなかで育てたほうがこの子も幸せかもしれない。「あなたのこのご主人を育てた人なのですから」という玉尼様の一言で気持ちは決まりました。実際、私が育てるよりものびのびと、近くに住んでいる主人の妹も「4人目ができたと思って」と分け隔てなく育ててくれたおかげで幼稚園の年長で東京に戻ってくるまでには元気で活発な男の子となってもどってきました。大きな愛情のなかで育ててもらったおかげで下の子の面倒もよく見てくれます。
今年の石鎚山の山開きには一人で飛行機に乗り四国へ行き、初参加させてもらいました。周りの方々や同じ小学生のお兄ちゃん達に助けられながらも登拝することができました。
昨年の夏に玉尼様にお会いしたときに「あのときにこの子を琴平に置いて帰らなかったらこの子は死んでいたかもしれない」と聞かされて大変驚きました。これを書いている横で兄弟3人にぎやかに遊んでいる姿があるのも玉尼様のおかげです。心より感謝しております。
- 130
- 日本の古代信仰
- 投稿者:音羽
- 投稿日:2008/02/20 (Wed) 20:28:54
歴史上の書物は、時の豪族の影響を受けて編纂されている可能性がありますが、玉尼様がおっしゃるには、宇宙神(大萬神)としてのゴッドを頂点に、幣立神宮の五色の面のごとく(赤、白、黄、青、黒)、それぞれの人種ごとにそれぞれ神がおられます。邪馬台国(日本)では、男(夫)神としての大国主神、女(妻)神としての天照大神がおられます。その夫婦神としての神の下に、八幡様−地代を納める神様など、それぞれのお役目の神様が神社を与えられ、お祀りされています。また、別に人間でありながら、霊界に上がることなく、現人神のようにお祀りされている神様もおられる(平将門、崇徳上皇、東照大権現など)と、僕は聞きました。
その話を基に、全国の神社を訪ね歩くと、やはり大国主神をお祀りしている神社が全国に分布していることが分かりました。例えば、神武天皇がお生まれになった九州などでも、大国主神もしくは出雲系の神々を多くお祀りしていることが分かります。普通は神武天皇のお生まれになった土地なので天津神系以外の神様を多くお祀りになっていたら不思議なのですが、なぜか九州にも多くあります。神社の数を集計してみると、天津神系の神社と出雲系の神社の数は均衡しています。さまざまな書物を調べても、天津神系は圧倒的に位が高く、国津神系は扱いが低くなっています。理由ははっきり見えてきませんが、神武天皇の故郷でも、出雲系の神の信仰があったことであり、先の玉尼様のお話にあるように、夫婦神としての大国主神、天照大神が並ぶ御神威をもっていた表れであると思います。
日本書紀には第10代の崇神天皇6年までは倭大国魂神と天照大神の二神を宮中でお祀りしていた事が書かれています。しかし、あまりの神威の強さを畏れられた天皇は宮の外でお祀りすることにされたようです。一説には倭大国魂神と大国主神は同一神だとする説や天照大神と倭大国魂神は並ぶ神威をもっていたと言う説もあるようです。このような説を聞くと玉尼様のお話とよく符合するように思われます。
かの弘法大師空海さまも仏教の偉大な人物でありながら日本の神様もお祀りされています。たとえば、遣唐使として唐へ渡る際、まず宇佐神宮に参拝されたり、その後帰国されるおりには宗像三女神のお告げで鎮国寺を創建されたり、あるときは金刀比羅宮のご祭神のお告げで箸蔵寺を創建されたりしております。このお話だけでも、玉尼様と同じく弘法大師さまが日本の神様を非常に大切に考えられていたことが解るように思います。
と共に、玉尼様が重視されております、龍神様も弘法大師様はお祭りされております。たとえば、神泉苑で66本の鉾(当時の国の数)を立て、善如(ぜんにょ)龍王に国家の安寧を祈願されたりしています。また、温泉を発見したのは役行者(えんのぎょうじゃ)とされているようですが、弘法大師様は、現在の龍神村の辺りで、難陀(なんだ)龍王(八大龍王の筆頭とも)のお告げで、役行者が発見した温泉を浴場として開いた、というお話が残されております。
弘法大師様が訪れていた現在の室生寺なども、室生寺創建以前から太陽信仰や龍神信仰があった古代の聖地です。また、先に述べました、倭大国魂神が祀られている大和神社は、元宮を奈良県桜井市の国津神社とする説があるようで、この地域には国津神社、葛神社、九頭神社等、龍神様と関係のありそうな神社が数多く残っているそうです。
これらの話も玉尼様のお話と併せて考えますとよく合うように思われます。玉尼様も、龍神信仰があった場所、役行者、弘法大師様が訪れた場所を、よく訪れているそうです。
- 131
- 開かれる扉
- 投稿者:木村 ハナエ
- 投稿日:2008/02/21 (Thu) 23:30:48
今から15年程前、信頼する友人が「素晴しい人に逢わせてあげる」と言って導いてくれたのが、思いがけなく超能力者というか占師のような方でした。
相対して端座するや、私の過去七代前から現代、そして未来は勿論、私の性格を得々とあばいて、最後に「仏門に入り修行して在家得度しなさい、未来が開けます。」と言いました。「私は一直線に入れ込む性格だから、こんな話を辿れば大変なことになる。私には私に定められた人生航路がある、二道は選べない。」と即答して帰りました。
しかしその中で、‘一の扉を開けば次の扉が開かれる’という言葉だけが心に滲みました。行き悩んだとき、この言葉が、大きければ大きいなりに、小さければ小さいなりに励みになりました。
第一の扉は、やはり仏の世界に近い讃仏歌の世界に導かれたことでした。仏前に正座にて合掌し、鈴の音に合わせて一声発すれば、己から仏心に繋がれて無心の境地に引き入れてくれ、安心と感謝の心に変わっていくのです。そして次々と同好の生徒たちが集まってきました。教え、教えられつつ行くうちに、誰かの何かの「ひらめき」で出た一言が心を動かしてくれ、次の扉が開かれました。こうして、大小限りない未知の扉が一つ一つ開かれて、その世界の中で数知れぬ多くの方々と結ばれて来ました。この一つ一つの扉は、私一人で開いたものではありません。有縁、無縁の数知れない多くの方々の支えがあってこそ開いたものなのです。
今私は八十五歳を過ぎました。下り坂の人生を明るく楽しく、活力に満ち輝いた人生の最後を過ごしております。そして昨年、私を支えてくださった方へのご恩返しと、私の生きてきた人生の最後の戸締りをと思って、「絆」と題したささやかな本を綴りました。
あら不思議、昨年12月末に発刊いたしました「絆」の本によって、今年1月半ば頃、15年程前「素晴しい人」と紹介されてお会いしたその方に、無意 無策で再会したのです。それが松井隆子先生です。私は、先生のお名前も知らないまま、ただひたすらに‘一つの扉を開けば次の扉が開ける’この言葉だけを頂戴し放しで15年程過ごしてきたのです。そして今、私が、「絆」という本を境として扉を閉じようとしたその途端に、松井隆子先生が現前として出現されたのです。この不思議をどのように解釈すればいいのでしょうか・・・理屈ではないのです。心理原理の世界は、解くに解けない真実の真実が通っていると感動の外ありません。私のような凡人に、なぜ、誰がこんなに強い力をもって導き出してくださったのか、恐ろしく感じさせられている今日であります。己の林住期を支えてくださった方々への恩返しのためにも、「扉を閉めることは相成らぬ」と言われたように受取ました。
さて、新年の閃きを待つことにして、魂が叫ぶような気がしています。
- 132
- マザー・テレサ
- 投稿者:玉尼様
- 投稿日:2008/02/27 (Wed) 17:26:03
2001年8月、ホームページ「宗教の話」の中に書込みをしていますが、マザーテレサが亡くなったとき、「お釈迦様の役目をもって生まれてきたのがこの女性である」と聞かされました。
「でも、マザーテレサは修道女であって、仏教徒ではないではありませんか?」という私の問いかけに、「マザーテレサはキリスト教という門から入信しているが、自分の役目に目覚め、その生き方を貫けば貫くほど仏教徒になっている。そしてお釈迦様と同じインドで亡くなっている。」と聞かされました。
マザーテレサの苦悩を知った今、彼女はキリスト教徒ではなく、やはり仏教徒であったと確信しました。
仏教徒は、自分自身の心の中にある「闇」、「孤独」、「苦しみ」など心の痛みと葛藤し、自分の愚かさに悩む中で、人間は、聖人・仙人などにはなれず、愚かであるのが人間であることに気付きます。これこそが仏教の悟りなのです。悟りから、見返りを求めない愛の出発になるのです。そして、見返りを求めない愛こそ、仏教の教え根本にある「慈愛」なのです。
人は、霊体が素晴らしければ素晴らしいほど葛藤します。この葛藤こそが修行であるとするのが、仏教のお釈迦様が辿った道です。菩提樹の木の下で瞑想しているお釈迦様の心の中は、マザーテレサの苦悩する心の葛藤そのものなのです。キリスト教では、その心の中を「懺悔」として他の人に伝え、相談し手紙にします。その「心の中」は修行中の事なので、それを聞いたキリスト教の聖人たちは他人に口外してはなりません。仏教では、自分の心の中にある叫び、苦しみを、「瞑想」、「写経」、「土砂加持」などで、心、紙、砂にぶつけて一言一言消していくことができるのです。
私達大和人は、あの素晴らしく偉大なマザーテレサでも、心の葛藤に苦しまれていたということを知ることで、今悩み、苦しんでいる自分自身の心が楽になることでしょう。仏教とは、悩み苦しんでいる自分の考え方を切り替えることであり、価値観の方向転換をすることです。
マザーテレサは、貧民層を救うため、聖女としての役目を全うしました。聖人と呼ぶにふさわしい人物なのだと思います。これから先、お釈迦様と同じように、人々にとって、彼女の生きた行為全てが理想となり、「あなたのような生き方を理想としたい」と手を合わせられることでしょう。
- 133
- マザー・テレサ 2
- 投稿者:玉尼様
- 投稿日:2008/03/06 (Thu) 17:37:43
前回、米タイム誌の「マザー・テレサの苦悶」を読み、彼女が仏教徒であったと確信したと書き込みました。その訳は、仏教では、私たち人間は、大きく分けて肉体と霊体の二つから成り立っていると考えられているからです。
霊体は、電波の波動のようなもので、肉体の頭部にヘルメットを被ったようにカプセルされています。そして、肉体の心臓が止まったとき、右耳後ろにセットされている装置が作動して霊体が離れるのです。この霊体は、四次元の存在であり、三次元の肉体から離れて五次元以上の霊界に帰るまでは、四次元の中で浮幽霊として彷徨います。そして、五次元以上の霊界で修行をしてまた生まれ変わってくるのです。
生まれ変わるとき、五次元以上から四次元に戻ります。このときは予知能力があり、また四次元を自由に使って動くことができます。そして、母親(母体)の中の子供の肉体に入り生まれ変わってくるのです。これが仏教の説く「輪廻転生」なのです。
新約聖書の聖人パウロの告白にある「内なる人」とは、先に述べたこの「霊体」なのです。霊体は、神の律法を喜ぶのです。一方肉体は、人間としての「五欲」があり「我」があります。だから肢体には別の律法ができるのです。霊体=内なる人の律法と、肉体=人間としての律法が心の中で闘うのです。お釈迦様は、沙羅双樹の木の下で、この霊体と肉体が葛藤した結果、「この肉体は、神から与えられている霊体=内なる人の律法を、心から喜ぶことの肉体になることだ」と目覚めたのです。これが「悟り」なのです。
神に近づくには、、この内なる人=霊体の律法に従って生きること、それを行えば満足することができるのです。この満足こそが人間の求める幸せなのです。
この霊体=内なる人は、人間一人一人違います。自分の霊体の声を聞くことが、神が喜んでくれる第一歩なのです。
霊体の声を聞く方法が「瞑想」することです。瞑想する方法には、座禅・登拝・読経などいろいろな方法が与えられています。
仏教徒は、この法則を理解し、受け入れることができるので、「渇き」、「暗闇」、「責め苦」から解放されて心が満たされるのです。
- 134
- 輪廻転生
- 投稿者:玉尼様
- 投稿日:2008/03/17 (Mon) 12:23:48
世界には、仏教、キリスト教をはじめ様々な宗教があり、仏教の説く「輪廻転生」を理解できない人たちがいるようです。
その人たちのために…。
今一度、こだわりを離れて人間を二つに分けて考えてみてご らんなさい。内なる人を霊体として、肉体と別々に見てくだい。
肉体は、未来永劫、一回だけの一生なのです。肉体は死によって
地(地球)に帰る、消滅してしまうのです。人格も記憶もすべてです。「無」なのです。これが般若心経の教えなのです。
だからこの肉体「私」はいとおしいのです。
「唯我独尊」は「我」ひとりよがりのことなのです。
一回かぎりの肉体と、繰り返す霊体があるのです。繰り返す霊体があるから、一回かぎりの肉体は大切に生きなければならないとするのです。
- 135
- ありがとうございます。
- 投稿者:k.k
- 投稿日:2008/11/17
さて私もお仲間に入れていただきたいと思いましたが掲示板に書き込むしか方法がありません。ご相談に乗っていただくにはどうすれば良いですか?勿論紹介者のあてもありません。よろしくお願いいたします。
- 136
- K.K.様。
- 投稿者:管理
- 投稿日:2008/11/17
- 137
- 癌の多発性肺転移
- 投稿者:カズ
- 投稿日:20008/11/17
私は、この病院が中四国で一番と誇るPET/CT(ペットシーティー:従来の検査では見つけられなかった極小の癌でも見つけることができ、その部位を特定できる最新鋭の検査機器)での検査を待っていた。
今から11年ほど前、頚部に広く転移してしまった甲状腺癌をみつけたとき、玉尼様の迅速で的確な指示により、奇跡的に一命を取り留めた。そのとき「あなたはこれで懲りてはいませんから、今後も何度か痛い目にはあいますが、その都度対応していけば長生きできますよ。」と言われた。玉尼様のおっしゃった通り、その2年後と8年後に大きな手術を受けながらも、普通の生活をし、仕事にも励んでいる。今も、月に2回は通院しながら、年に1回の精密検査を受けているが、今年6月のCT検査で肺への癌転移を疑う所見が出た。そこでより精密な検査を受けるために滝宮総合病院を紹介されたという経緯である。
滝宮総合病院での検査後、2週間ほどして検査結果がでた。担当医は淡々とした口調で「肺への多発性転移ですね。肺以外にもいくつか転移が見られます。PETでの検査結果ですから癌には間違いないでしょう。」と、検査データを示しながら私に伝えた。その場では冷静に「今後の対応につき宜しくお願いします。」と言って退室したものの、家で待つ妻には電話できず、すぐに電話で玉尼様に相談した。「それは癌に似ていても癌ではないです。手術で取り除く必要もないし、このままでもあなたの寿命には影響しないでしょう。でもあなたが納得する西洋医学で対応してもらいなさい。」との玉尼様のお言葉でした。
しかし、最新鋭のPET/CTで癌と診断された私は、玉尼様のおっしゃったこととはいえ、にわかに受け入れられず、インターネットで情報を収集し、担当医と相談しながらどの様な対応をしたらよいか模索し始めた。
最初の癌摘出手術から11年が経過しようとしているとき見つかった、肺への多発性転移。診察した呼吸器内科の担当医は、手術が不可能なことと化学療法や放射線治療も効果が期待できないことだけを告げ、主治医の耳鼻咽喉科医に対応を委ねた。幸い、その主治医が以前勤務していた病院が甲状腺疾患専門病院であったため、答えはすぐ見つかった。甲状腺原発の転移癌に有効な「アイソトープ治療」である。私がネットで探し当てた治療法と一致したので、その「アイソトープ治療」に賭けることになった。しかし、この治療法は特殊な設備を必要とし、かかりつけの病院にはその設備がないどころか、県下にはただ1カ所のみだった。しかもその病院での症例数は少ないため、より専門的な病院での診療を受けるため、遠方へ足を運ぶことになった。
主治医の紹介で、甲状腺と乳腺疾患を専門とする神戸のK病院を受診した。最近新しくなったという病院の設備と、診療開始とともに押し掛ける患者の数が半端でないことを目の当たりにして、驚きとともに「餅は餅屋」の感をもった。利用したタクシー運転手によると、患者は九州から名古屋まで西日本一円から来ているという。遠方から来院する患者の便を図って、検査をしたその日に検査結果が出て、一応の治療方針まで伝えてくれる。血液検査結果だけでも1週間も待たされるのがあたりまえと思っていたので、その合理的なシステムと患者サイドに立った対応には、信頼をも感じさせるものがあった。それだけで「この病院に任せよう」という気持ちが湧いてきた。私の場合は特殊な検査があったため、1週間後に結果を聞きに行くことになった。
いよいよ結果を聞くときが来た。私の都合で初診時と違う先生からの説明であったが、前医との連携はきちっとしていて、不安を感じることは全くなかった。ワンクリックでコンピューターの画面に表示される検査結果をみながら、また病態模型を手にしながらの説明は、非常に分かりやすく、ここでもこの病院の患者に対する優しさが読んで取れた。さて、私の結果であるが、今までの経緯と今回の検査結果をふまえ、期待していた「アイソトープ治療」が不可能であることを、患者の落胆を和らげようと、納得できる説明を重ねて先生は示された。そして、「この癌は癌の中でも非常にたちの良いものであるから、無理な手術を受けなくとも、適切な投薬治療で癌と共存しながら寿命を全うできますよ」と付け加えた。玉尼さまがおっしゃった「手術で取り除く必要もないし、このままでもあなたの寿命には影響しないでしょう。」そのままの結果であった。
そのとき、私は気持ちが穏やかになるのを感じた。それが顔の表情に表れたのであろうか、説明し終わった先生は私の顔を見て、驚いたような表情をみせた。なんの積極的な手立ても提案できず、慰めとも似た言葉を選んで説明したものの、落胆とは全く違った私の穏やかな表情を見て驚きを隠せなかったのであろう。このように穏やかな気持ちになれたのは、全てが玉尼様のおっしゃった通りに、事が進んだからである。きちっとした専門病院に私を導き「あなたが納得する西洋医学で対応してもらいなさい。」と私を納得させて下さったのも玉尼様でした。たとえ回り道であっても、私が納得する方法で、それを受け入れる環境を玉尼様は整えて対応して下さったのです。玉尼様がおっしゃったことを素直に受け入れ、その通りに行動することがどれほど意味のあることかを実感させられた貴重な体験でした。
- 138
- 悩んでいます
- 投稿者:yukmuk
- 投稿日:2008/11/17
その後著書を読ませていただいたり考えたりして、これからの生き方がどうしてもわからなくなってきました。霊体の望むように生きることが人間の本当の幸せとしたら、私のように霊体が人間嫌いなら、たった1人で生きていくことが本当の幸せなのでしょうか。
しかし、私の現在の職業はとにかく多くの人間に囲まれての仕事であるし、何より私は今まで大勢の中にいることが好きで、苦しいときにはみんなに元気をもらって今まで何とか生きてきた気がします。それがいけないとしたら・・・。と考えどうしたらいいのか分からなくなってきました。本来の相談は別の件で、そちらの方は絶望的な状態で私が心を入れ替えるしかないというお言葉どおり、何とか私なりにがんばっています。つらく苦しい日々に変わりはないのですが。
- 139
- Re:悩んでいます
- 投稿者:玉尼様
- 投稿日:2008/11/17
相談の内容を聞きますと、まさに「人間嫌い」の霊体が本当の原因でしたネ。
相談の内容に関係した人以外の貴女のまわりの人たちにも同じように感じられていることを伝えましたネ。それは、肉体が疲れたとき等に無意識に「人間嫌い」の霊体が強く支配し、とても利己的に行動や言葉を発していたのですと説明しました。
これからが答えです。ご相談の時にはっきりと伝えたのですが、この大事なことを受け取っていないことに気づきなさい。
【玉尼様は霊を助けることが出来るのです。】
肉体の私(松井)は人間の心を正しく導きたいと努力しています。玉尼様が貴女の霊体に「前世での出来事による人間嫌いが現世の肉体の一番望んでいる幸せを壊す原因になっていること、また前世から現世に生まれ替わらせて頂いているのは、もう一度肉体をいただいて人間嫌いを悔い改めて愛し愛される人間になるための修行である。」と諭しました。
霊体は肉体と違って自己愛から利他愛(自分以外の人のために考え行動すること)に切り替わるのが、スイッチが切り替わるように替わることが出来るのです。
だから今、貴女の霊体は他の人々の霊体より「人間好き」であり、「利他愛」で生きようとしています。霊体と共に生きてきた貴女は霊体と同じだったのです。それに自分自身で気づかなかったのです。だからこれからは霊体と同じように自己愛から利他愛に目覚めなさい。相手にやさしく接し、やさしく話を聞き、相手の望み、喜びを共有し、相手が貴女とともに過ごす時間が楽しいように気遣いをしなさい。
必ず貴女の悩みは解決します。
簡単なことなのにとても大変な努力が必要です。
ペガサス会の人たちも彼女にアドバイスの書き込みをしてください。
- 140
- yukmuk様
- 投稿者:○ーじ
- 投稿日:2008/11/17
コメントでの玉尼様のお言葉をお借りすれば、私の霊体も、怒り、冷たさを改めるべくもう一度肉体を頂き、修行の為、現世に生まれ変わらせていただいているのでしょう。
その修行をするのは、「私」です。驕り高ぶるのは「私」です。「私」が、日々悔い改め、驕ることなく、謙虚に生きることが、私の霊体の望みです。「私」が、性格を改め、直していくように、日々戒めていくことで、改まった性格が「あたりまえ」になり、霊体の望むように、幸せになれれば、と思っています。
- 141
- ありがとうございます!
- 投稿者:yukmuk
- 投稿日:2008/11/17
しかし、コメントをいただいたことできちんと理解できました。つらい日々が続き、新たな問題も発生してはいますが、私自身の生きる指針が発見できた気持ちで、ある意味晴れ晴れとした心持ちです。まだまだ解決はしていないし解決するかどうかも分からないです。しかし、このような困難に出会って初めて、自分の今ここに生きている意味や今の人生の課題と向き合え、幸せなことだとも思います。不謹慎かな?
また、○ーじ様の言葉も本当にありがたいです。「私」も玉尼様に出会ったことで変化した私の霊体の望みに従い、修行する日々を過ごしていこうと思います。がんばります!